南海高野線沿線風景

【なんば〜天下茶屋駅】

なんば駅は9面8線のホームを有する大阪南最大のターミナル(北は阪急梅田駅が10面9線ホームで最大)です。ここから天下茶屋までの区間は高野線と南海線(和歌山市・関西空港への線)が並行して複々線(4線)で走ります。
なんばを出てしばらくすると左手に大阪南の象徴、通天閣が見えます。
初代は凱旋門の上にエッフェル塔が乗った何とも奇抜なスタイルだったそうですが、太平洋戦争中に火災消失、現在のは二代目です。

次の停車駅「新今宮」でJR環状線と交叉。
ここを出て左手の一体は西成の愛隣地区と呼ばれる地域です。
その後方をよく見ますとビルやマンションが小高い丘の上に建っています。
四天王寺や大阪市立大学医学部のある上町(うえまち)台地です。
大阪は元々難波潟という湿地帯でしたが、この上町台地のみは太古から陸地で、ここから大阪が開けました。

次の停車駅「天下茶屋(てんがちゃや)」駅は太閤秀吉ゆかりの地。
豊臣秀吉が堺に行く途中、このあたりの屋敷で茶会をおこなったことが、地名の由来とか。
関西空港から南海線で来られる方にとっては高野線への乗り継ぎ駅となります。

【天下茶屋〜堺東】

天下茶屋を出てしばらくすると高野線は大きく左へカーブをきって南海線と分かれます。
ここから登り勾配となり、坂を登りきったところが「帝塚山(てづかやま)」駅(特急・急行は通過)。兵庫県の芦屋とならぶ関西屈指のお屋敷町で、表通りを一歩入ると鬱蒼とした大邸宅が並んでいます。帝塚山学院のある文教地区でもあります。

しばらく走ると大阪市と堺市の境界となる大和川を渡ります。元々の大和川は奈良盆地から北へ流れて淀川に合流していましたが、1704年(宝永元年)に付け替え工事が行われて現在の流れになりました。晴れた日にはわずかな水量しかありませんが、ひとたび雨が降ると一気に水かさが増す荒れ川です。大和川を渡ってしばらく走ると「堺東」駅に到着。
内陸を走る高野線が「堺東」駅、海岸沿いを走る南海本線が「堺」駅、それぞれ政令指定都市「堺」の東と西の玄関口です。
平安時代に摂津・河内・和泉の3国の境に位置することから堺と名付けられた町。戦国時代には海外との交流拠点として発展した自由都市として有名です。

【堺東〜金剛】

「堺東」を出ると列車は大きく左へカーブしてしばらく谷底のような切通しを走ります。次の三国ヶ丘駅の手前で右手を注意していると鬱蒼とした森が見えます。日本最大の前方後円墳、大仙古墳(通称「仁徳天皇陵」)です。
平面で見てもその大きさはなかなか実感できませんが、伊丹空港へ着陸する飛行機からみるとその大きさがわかります。
三国ヶ丘駅(特急・急行は通過)はJR阪和線・紀勢線への乗換駅。JRの線路は南海高野線の下を立体交差していますが、半地下を走っているためにうっかりすると見落としてしまいます。

やがて待避線・留置線をもった比較的大きな駅、「中百舌鳥(なかもず)」を通過。ここはかつて南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の初代球場、難波に大阪球場が完成したあとは二軍本拠地・練習場があったところですが、いまはとりつぶされて住宅地になっています。
ここから泉北ニュータウンへ行く泉北高速鉄道が分岐しています(日本一料金が高い鉄道といわれています)。分岐の仕方や駅の線路配置などは千歳空港線が分岐する北海道の南千歳駅に似ています。

ここから先は泉北高速鉄道が分岐して列車密度が半減するため、列車は速度をあげて軽快に飛ばします。白鷺駅、初芝駅を通過して阪和自動車道の下をぬけたあたりから左手をみると田園風景の向こうにふたコブ駱駝のような形の「二上山(にじょうさん)」が望まれます。古くは「ふたかみやま」と呼ばれ、特に奈良側から眺める二上山に沈む太陽の美しさゆえに、西方浄土の入口として神聖視されてきました。高い方の雄岳山上には悲劇の皇子、大津皇子の墓などの史跡があり、この麓をぬけて近鉄南大阪線が奈良橿原神宮から吉野へと走っています。この山から南へ葛城山、そして大阪府の最高峰、金剛山と峰が続きます。

急行停車駅北野田(特急「こうや」は通過)を過ぎ、日本最古のダム式ため池である狭山池を迂回して列車が大きく右へカーブをきるあたりから、左手に白いろうそくのような奇妙な形をした塔が望まれます。高校野球のPL学園などで有名なPL(Perfect Liberty)教団の「PLの塔」です。毎年8月にはこのあたり一帯でPLの花火大会が盛大に開催されます。
程なく列車は「金剛」駅に到着。近畿大学医学部ならびに附属病院へのアクセス駅です。

【金剛〜橋本〜高野山】

金剛駅を出てしばらく切通しを進むと、やがて右手の展望がひらけ、田園風景の先の丘の上に煉瓦造りの瀟洒な建物が望めます。私たちの近畿大学医学部・附属病院です。
バス・タクシーといった公共交通のアクセス駅は金剛駅ですが、距離的には次の滝谷駅が最も近く、田園風景の中を20分程度歩くと到着しますので、毎日私は徒歩通勤しています。

ここから先は毎日の通勤経路ではありませんので、過去数回の乗車記憶を頼りに大まかな車窓風景だけをご紹介します。

近鉄との接続駅「河内長野」から先はかつて単線区間でしたが、大阪のベッドタウン開発にともなって複線化され、「りんかんサンライン」という愛称もつけられました。勾配を登ってトンネルで通過する紀見峠は高野街道と呼ばれた時代から河内国と紀伊国の境であり、現在も大阪府と和歌山県の県境となっています。次の停車駅のある橋本市はもう和歌山県です。

橋本駅はJR和歌山線との共用駅。駅を出ると列車は大きく右へカーブをきって紀ノ川にかかる鉄橋を渡ります。この紀ノ川を河口まで下ったところが和歌山市ですが、その中間点にある「平山(現在の紀ノ川市)」は世界で初めて全身麻酔下で外科手術を行った華岡青洲ゆかりの地。青洲の里として記念館などが整備され、華岡青洲ゆかりの品が展示されています。お時間があれば訪ねてみてください(橋本で乗換えてJR和歌山線名手駅下車、所要約30分)。

橋本から先は単線区間となり、50‰の勾配や半径100m以下の急カーブが続く山岳路線となります。このため、橋本から先へ乗り入れる列車は特急「こうや」も含めて全て17m級の短い専用車両(りんかんサンラインは20m級)が使われています。なんばから橋本を超えて高野山極楽橋まで直通で乗り入れる列車は、橋本までのりんかんサンラインにおける高速運転と橋本以降極楽橋までの山岳運転(低速で高馬力)という全く対極に位置する性能を要求されます。このようなマルチな性能を有する車両は、広範囲に焦点距離を変えられるカメラのレンズになぞらえて「ズームカー」と呼ばれています。元祖ズームカーは1958年に登場した21000系、スマートかつ高性能で鉄道ファンあこがれの車両(添付写真参照)でしたが現在は引退して静岡県の大井川鉄道と島根県の一畑電鉄で第2の人生を送っています。

真田幸村の隠棲地、特産品「日本一の富有柿」で知られる「九度山(くどやま)」駅を過ぎるあたりから本格的な山岳路線となります。
列車は速度を落とし、右に左にカーブを切ってレールをきしませながら進みます。徐々に高度をあげ、鬱蒼とした森の中へ小一時間進むと、山懐に抱かれた終着駅、「極楽橋(ごくらくばし)」へ到着。
ここでケーブルに乗換えて約5分登ると、そこはもう霊峰高野山、なんばから約1時間30分の旅も終着となります。


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